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天命に生きる日本の教え講座 安岡正篤「人生手帖」に学ぶ

安岡正篤一日一言を読み解く

五月一日の言葉 腎を養う①

五月になったので思い出すことの一にこの事がある。
五労の一は多想心労。とりこし苦労が多すぎること。これは心臓を傷(いた)める。
二は多怒肝労。怒りが度重なると肝を痛める。
三は多思脾(ひ)労。考えごとが多いと脾が疲れる。脾臓は血液の浄化や調整を司どる大切な器官であるが、割合に人々はこれを知らない。
四は多悲肺労。悲しみが多いと肺を傷める。
五は多憂腎労。憂が多いと腎が疲れる。(以上、安岡正篤一日一言から)

「労」の意味を漢和辞典で調べると、イタワル、ハタラク、ツカ(レ)ル、苦シム、ナヤム、ナグサム、ネギラウとありますが、ここでは、ツカ(レ)ル、苦シム、ナヤムの意味で使われているのだと思われます。五つの労の一つ目は、多想心労、想いが多いことにより、心が疲れる、苦しめられる、悩むということでしょう。「想」の意味を漢和辞典で調べると、冀(こいねが)い思うこと、とあります。冀うとは、国語辞典で調べると、強く願い望むこと、切望すること、だそうです。したがって、多想とは、多くのことを強く願い望むように思うこと、切望するように思うこと。これを安岡先生は「とりこし苦労」と表現されているわけです。たしかに「とりこし苦労」とは、考えなくてもよさそうなことを、あれこれと考えて憂うことです。そして、こういうタイプの人は案外多いように思います。何も始めていない段階で、始めてからのことを、あれこれと考えて憂うのです。結局、何もせずに終わってしまう、なんてことになり、一体、今まで貴重な時間を使って何をしていたのか、とくよくよする。これでは、下手な一人芝居のようなもので、何のために生きているのかわかりません。
二つ目は、多怒肝労。怒りが多いと肝を痛める。お釈迦さまは、何があっても怒ってはいけない。例え理不尽な理由で相手に殺されそうになった時でも、絶対に怒ってはいけない、とおっしゃっています。わたし達凡人には、とても出来そうもないことですが、それほど、怒ることは善くないことなのです。その怒りが多いと、肝を痛める。漢和辞典には「肝」とは、五臓の一(すなわち肝臓)、ココロと書いてあります。怒りが多いとココロが傷ついて肝臓までもが痛んでしまう、という意味でしょうか。自分のココロが傷つく分には自業自得で仕方ありませんが、怒りというのは他人のココロまで傷つけるものですから、始末に負えません。安岡先生は、怒りを発する人は毒を発するのと同じだともおっしゃっています。やはり、お釈迦さまがおっしゃるように、絶対に怒ってはいけない、のかもしれません。
三つ目は、多思脾労。脾とは脾臓のことで、血液の浄化や調整を司る大切な器官、とあります。想うと思うの違いは何か。これも漢和辞典を調べてみますと、慮(おもんばか)ること、国語辞典には、慮るとは「おもいはかること」とあります。想が、願いや望みを思うことであり、思は、やり方や方法を思いめぐらすことであるように考えられます。安岡先生は、考えごとが多いと脾が疲れる、と「思」を「考」と訳しておられます。かといって、まったく考えないというのは如何かと思いますが、考えすぎるのも問題がある、ということでしょう。考えが多いといのは、別の見方をすると、自分の考えに自信がないということでもあるでしょう。地に足が付かない、拠り所がしっかりしていないから考えずにはおられないのです。また、考えごとが多いというのは、わからないことが多いことでもありましょう。わかっていれば考えない、わからないから考えるということです。さらに言えば、人間というのは考えているだけでは解決しない、ということです。学んで思わざれば則ち罔(くら)し、と孔子もおっしゃっておられますように、学んでも考えなければ、発展というのはありませんが、しかし、また孔子は、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し、ともおっしゃっておられるわけでして、考えているだけではいけない、学ばなければいけない、ということです。下手の考え休むに似たり、とも言います。
四つ目は、多悲肺労です。悲しみが多いと肺を傷める。言うまでもなく肺というのは呼吸を行う器官ですから、これを傷めると大変なことになります。悲しみというのは、怒りのように絶対に避けなければならないものではないと思いますが、いつまでも悲しんでいるのはいけません。どこかで悲しみを断ちきって前進しなければいけない、という教訓も含まれるように思います。
そして最後、五つ目は、多憂腎労。憂が多いと腎が疲れる。一つ目の多想の「とりこし苦労」というのは憂でもあります。やるまえから、あれこれ考える。まだ到来していない苦労を勝手に想定して煩悶しているようなタイプの人が多憂腎労でありまして、そのような人は腎が、すなわち腎臓が疲れる。腎臓は体内に生じた不要物質を尿として排出する器官ですから、これが疲れると、健康を維持できなくなる。安岡先生は肝腎要という言葉は、肝臓と腎臓と腰骨の三つを表すもので、これらは屋台骨のようなものであり、これらが痛むと全体に影響するとおっしゃっておられます。

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