・八月三十日金曜日
四時に起床。早速YouTubeに易経の動画をFacebookに昨日の日記をアップして、今日一日の運勢を占筮したところ雷地豫☳☷上爻が出た。
卦辞・彖辞を解釈すると次のようになる。
○豫は、侯を建て師を行るに利し。
▼豫は(易経の教えを)悦び楽しむ時である。一陽九四に五陰が順い動く。地中に潜蔵していた陽気が雷動(春雷)で地上に出て、草木は芽を出し、花が咲き、天地萬物悦楽する(沢山の人が易経の教えを楽しむ)。喜び楽しむ豫の時は、諸侯を建てて(側近=易経の先生に任せて)兵を動かす(組織を運営する)が宜しい。諸侯(側近=易経の先生)は民(部下や民衆)を悦楽させ、兵(組織)は暴逆を討伐(組織に対する反逆を制圧)する。(公田連太郎述「易経講話二」明德出版社には、豫の字の本義について説明している。以下、要約して引用する。「豫の字の本義は、大きい象である。説文の注によれば、ゆっくりとしてゆるやかなるものである。心が広く、ゆったりとして、ゆとりがあるので、悦び楽しむことができるのである。ゆったりとしておるので、あらかじめ後の備えをすることもでき、落ちついて楽しむこともできるのである。説文には『豫は象の大なる者なり』とあり、その注に『此れ豫の本義なり。大なれば必ず寛裕なり。故に事に先だちて備う、之を豫と謂う』といってある。また、悦楽の豫が行き過ぎたのが、遊び楽しむの豫となるのである。以上、要約して引用した。)このことから、豫とは寛裕で事前に準備するから悦び楽しむことであるが、悦び楽しむことが行き過ぎると、遊び楽しむ、すなわち、乱れるという意味になることがわかる。豫の卦辞・彖辞、彖伝、大象伝には、豫の悦び楽しむ面から文章が書いてあるが、爻辞と小象伝には、豫の遊び楽しむ、すなわち乱れる面から文章が書いてあるように感じる。
爻辞を解釈すると次のようになる。
○上六。冥豫す。成れども渝る有れば、咎无し。
▼上六は豫楽の極点で長期間豫楽(易経の教え)に耽溺(王道ではなく邪道に走ってしまった)しているので、健全な心を喪失している。豫楽(邪道)が極まれば悲哀に変ずる天理(易経の教え)を知らない愚か者である。豫楽(邪道)に耽溺している己の愚かさを覚り、(王道に戻って)心を入れ替えれば、更生(正しく易経を理解)することができる。
さて今日は午前中金融機関で用足し。その後「みんなの易経」を執筆。十三時前に家を出て、十三時半から十五時半まで山梨文化学園の易経講座。帰宅したのは十六時。ということで早めに店終い。