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易占徒然日記 55

・八月五日月曜日
 四時に起床。早速YouTubeに動画をFacebookに昨日の日記をアップして、今日一日の運勢を占筮したところ水風井☵☴三爻が出た。
 卦辞・彖辞を解釈すると次のようになる。
○井は邑を改むれども井を改めず。喪ふ无く得る无し。往來井を井とす。汔ど至らんとして、亦、未だ井に繘せず、其瓶を羸るは、凶なり。
▼遷都で村人や村落が移転しても井戸は残る(環境が変わっても易経を学び続ける)。その井戸から水を汲み出しても尽きることはなく、水を汲み出さずに放っておいても溢れることがない(学んでも学んでも学ぶことは尽きない)。往来する人々は井戸を井戸として用いて、その恩澤に与ることができる(易経の教えは全ての人に役立つ)。けれども、井戸の中の水面の近くまで釣瓶が達していても、まだ釣瓶が水面にまでに届いていかなかったり、又は最初から釣瓶がなかったり、或いは釣瓶が壊れていれば、井戸から水を汲み上げることができない(易経に書いてあることの意味がわからなければ何の役にも立たない)。井戸(易経)は何の役にも立たない無用の長物となり、井戸(易経)本来の役割を果たせない。
 爻辞を解釈すると次のようになる。
○九三。井渫へたれども食はれず。我が心の惻を爲す。用て汲む可し。王明らかならば、竝に其福を受けん。
▼剛健正位(陽爻陽位)の九三(わたし)は井の時に下卦の最上位に居るので、井戸の上澄み水(泥水を浚った清水・君子=易経を理解している人)に喩えられる。この清水(君德)を誰かが汲み上げて用いれば(易経の講師として招いてくれれば)役に立つが、誰も汲み上げて(招いて)くれない。九三(わたし)は心を痛めて嘆息する。「誰か汲み上げてくだされ」。王さま(トップ=易経を学びたいと思っている人)が明君であれば、九三の清水(君德=わたしの易経講座)を汲み上げ用い(受講し)て、上下(天子・トップと臣民)共に福を招き寄せる(日本国中の人々の役に立ち、みんな幸せになる)。
 さて今日は午前中受注があったネットショップの発送準備と発送、歯医者、お袋送迎とこなし、その後「みんなの易経」を執筆。夜二十時から二十二時まで白倉塾(易経講座)を開講した。

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