・七月二十五日木曜日
昨夜は比較的涼しかったが寝付けなかったので、五時半起床とまたまた大寝坊。早速YouTubeに動画をFacebookに昨日の日記をアップして、今日一日の運勢を占筮したところ水風井☵☴二爻が出た。
卦辞・彖辞を解釈すると次のようになる。
○井は邑を改むれども井を改めず。喪ふ无く得る无し。往來井を井とす。汔ど至らんとして、亦、未だ井に繘せず、其瓶を羸るは、凶なり。
▼遷都で村人や村落が移転しても井戸は残る(わたしが死んでも易経の教えは未来永劫残る)。その井戸から水を汲み出しても尽きることはなく、水を汲み出さずに放っておいても溢れることがない(易経の教えは尽きるところがない)。往来する人々は井戸を井戸として用いて、その恩澤に与ることができる(だれもが易経の恩恵に与ることはできる)。けれども、井戸の中の水面の近くまで釣瓶が達していても、まだ釣瓶が水面にまでに届いていかなかったり、又は最初から釣瓶がなかったり、或いは釣瓶が壊れていれば、井戸から水を汲み上げることができない。井戸は何の役にも立たない無用の長物となり、井戸本来の役割を果たせない(ほとんどの人が易経の読み方を知らないから何の役にも立たない)。
爻辞を解釈すると次のようになる。
○九二。井谷、鮒に射ぐ。甕敝れ漏る。
▼九二(わたし)は剛健にして中庸の德を具えているから、良質な水が湧き出る井戸(君子)の資質を有しているが、九五の天子(トップ=易経の教え)が井戸から水を汲み上げてくれない(九二=わたしと九五=易経の教えは不応=しっくりいかない)ので、その良質な水(易経の真髄)を井戸の底の小魚に注ぐ(自分が理解する)しかない。たとえ水を汲み上げてくれる人が現れても、釣瓶に穴が開いているので良質な水は漏れ出て汲み上げることができない(今日一日は従来と変わらず易経の教えを普及できない)。
さて今日の予定は夜開講するリアル講座の「神皇正統記塾」だけだ。連日暑い日が続くのでその準備をするだけでのんびり過ごした。