三十八.愛が憎悪に変わる時
「組織が調和する時」の次は、「愛が憎悪に変わる時」である。「組織が調和する時」は、仏教の六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の「天上」の時だったが、「愛が憎悪に変わる時」は「餓鬼」あるいは「地獄」の時である。「餓鬼」は「畜生」よりも劣り、「地獄」は「餓鬼」よりも劣る最悪の人間社会である。「畜生」は人間以外の動物の社会を指し、本能のままに生きること。人間以外の動物は人間ほど物事を考えないから本能に素直に順って生きていく。それが「畜生」の生き方である。人間も食欲・睡眠欲・性欲などの基本的な欲望にだけ順って生きていけば「畜生」の生き方となる。人間の生き方としては情けないがそれはそれで悪くない生き方である。しかし「畜生」以下の「餓鬼」と「地獄」は物事を色々と考えてしまう人間だからこそ陥る生き物として最低の生き方である。
「愛が憎悪に変わる時」の主人公は振り子が左から右に触れるように、わが家の明るく開放的な雰囲気がうっすら暗く閉鎖的な雰囲気になった主婦の「あなた(わたし)」である。
人生は「振り子の如し」。振り子は左に傾き右に傾き、動きを繰り返す。左に大きく傾くと同じだけ右にも傾く。傾きは段々小さくなり終には止まってしまう。そこでまた振り子を左に大きく傾けると右にも大きく傾く。左右・左右と繰り返す。これを人生に当て嵌めて左を良い時、右を悪い時と考えると、良い(左に傾く)時もあれば悪い(右に傾く)時もある。良い時の傾きが大きければ、悪い時の傾きも大きくなる。良い時の傾きが小さければ、悪い時の傾きも小さくなる。すなわち、すごく良い時は、すごく悪い時に変わり、凄く悪い時は、凄く良い時に変わる。組織の状態もまた「振り子の如し」である。
わが家もまた「振り子の如し」。十五年前結婚したわたしは、優しい夫と三人の子供に恵まれ幸せな生活を送っていた。子供たちはすくすく育ち、長女は十三歳、長男は十二歳、次男は八歳になった。近所でも仲睦まじい家族と評判になるほどだった。ところが、今年、夫の父が亡くなり、病弱で一人暮らしが大変な義母を引き取って一緒に暮らすようになってから状況が一変した。義母はほとんど寝たきりなので一人では何もできない。わたしはパートを辞めて義母の世話をすることになった。義母は優しい人だが、身体が不自由で嫁のわたしに世話になっていることを過度に申し訳なく感じているようだ。何かとわたしに遠慮している様子が痛いほど伝わってくる。わたしとしてはもっと我が儘に振る舞って言いたいことを言ってくれた方が気が楽だが、何も言ってくれないので逆に気を使ってしまう。以下省略。