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時の物語(易経短編小説集・近日中に出版予定)35

三十四.暴走しないよう自制する時

 大きな衰運の中にあって、絶対に真正面から立ち向かってはならない「逃げるが勝ちの時」と正反対の時が、大きな盛運の中にあって、うっかりするとスピードが出すぎて脱線しかねないほど調子に乗るのが「暴走しないよう自制する時」である。この時は何をやっても絶好調なので、ついついやり過ぎてしまう。大盛運の中にあるからこそ、自制してやり過ぎないように気を付けなければならない。大盛運も大衰運も自分の意思で選べない。天から与えられた宿命である。運命には宿命と立命がある。立命は自分で切り開いていける運命だが、宿命は如何ともすることができない運命である。宿命にどのように対応するかで、その後の運命が決まっていく。うまく対応できなければ、宿命に流される。うまく対応できれば宿命を立命に転換することができる。

 「暴走しないよう自制する時」では「二三.人事を尽くして天命を待つ時」に登場した「あなた(わたし)」の前半生を描く。

 わたしは高校に入学する一寸前までは普通の人生を歩んでいた。お金持ちでもなく貧乏でもない普通の家庭で平凡に生きてきた。幼稚園から中学に至るまで優等生でも劣等生でもなく、友達も多くもなく少なくもなく、大きな怪我や病気にかかったこともなった。将来の仕事や生活についてこれといった夢もなく、普通に平凡な人生を歩めればそれでよいと思っていた。ところが、中学校三年になった頃から身体的かつ精神的に不安定な状態となり、両親や学校の先生から心配されるようになった。今振り返ると悩むようなことではないことを真剣に悩んでいた。思春期特有の微妙な悩みだった。両親や学校の先生からは、「一体どんなことに悩んでいるの?」と聞かれるので、「これこれこういうことで悩んでいる」と答えるのだが、「そんなことは大したことではないだろう」と突き放されてしまうので、気持ちの持って行き場がなくなり、どんどん人と話をするのが嫌になっていった。勉強するのも嫌になって成績はどんどん悪くなっていった。だから高校の三年間は完全に劣等生だった。試験の順位もビリではなかったがビリに近かった。自暴自棄になり進学や就職のことも何も考えられなくなった。無気力かつ絶望的な気持ちで学校に行っていた。勿論友達など一人もいなかった。一時は家に引きこもって不登校となり進学すら危うかった。以下省略。

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