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はじめての易経 60.水澤節

六十水澤節 ☵ ☱ 坎上兌下

 互卦 二七山雷頤☶☳
 綜卦 五九風水渙☴☵
 錯卦 五六火山旅☲☶

 水澤節☵☱は「程よい節度を守る」時。「節」の字は白川静著「字統」平凡社によると「竹の約(ふし)なり」とあり、竹の屈曲し結節するところをいう。と書いてある。竹は節が節目となっているからしなやかで折れない。節度とは竹の節目のことである。節目が程よい状態を保っているから、物事が順調に進むのである。
 また、程よい節度は中庸と同じ意味である。中庸とはその時に適切に対処することであり、不足することなく、やり過ぎることなく最も適切な対応を行うことである。同じように、程よい節度とは、不足することなく、やり過ぎることなく、最も適切な対応を行うことである。
 卦辞・彖辞に「苦節は貞にす可からず。/やり過ぎる節度・度を超えた節度を苦節というが、苦節は程よい節度ではないから、幾久しく続けることはできない。かといって、節度が足りない・節度が不足することも駄目である。何事も程よい節度を保つことが肝要である」とある。水澤節の時をよく言い表している。
 「苦節は貞にす可からず。」を「節度を保つことは大事なことだが、節度に固執してはならない」と「貞」を「固執」と解釈する説もある。程よい節度の一つに、「無駄遣いしないで節約すること」があるが、節約ばかりに固執すると「吝(けち)」になるので、時には無駄遣いすることも必要だと考えるのである。これもひとつの考え方であろうが、無駄遣いは節度が足りないことだから、それをよしとしてしまうと、易きに流れて程よい節度を維持できなくなる。常に程よい節度を保つこと、常にその時々に適切に対応できるようになることが理想である。
 また節度は規律と重なる概念である。苦節とは厳しすぎる規律である。程よい節度とは、その時、その人にとって、適切な規律を定めることである。ゆるい規律は何の役にも立たない。節度も規律も人間を律するためのものである。人間は放っておくと易きに流れるから、節度や規律が必要になる。けれども、厳しすぎる節度や規律は負荷が高すぎて守り続けることができない。ゆるい節度や規律では人間を律することができないから意味がない。それゆえ、常に程よい節度を保ち続けることが大切なのである。

 以上が水澤節の概要である。
 ここから先は原文(漢文と書き下し文)を示した上で、初心者でも理解できるように意訳していく。(太字を読めば理解できる。)以下省略。

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