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はじめての易経 4.山水蒙

四山(さん)水(すい)蒙(もう) ☶ ☵ 艮上坎下

 互卦 二四地(ち)雷(らい)復(ふく) ☷☳
 綜卦  三水(すい)雷(らい)屯(ちゆん) ☵☳
 錯卦 四九澤(たく)火(か)革(かく) ☱☲

 産まれそうで産まれない産みの苦しみの水(すい)雷(らい)屯(ちゆん)(☵☳)の次は、無知蒙昧な人物がトップの位(五爻)に就いてしまった山水蒙(☶☵)の時である。上卦艮☶の山の下には、下卦坎☵の水がある。水は霧となって山を覆い隠すので、山の姿はぼやけてぼーっとした状態(蒙昧)である。
 山水蒙の時を日本の歴史に当て嵌めれば「明治維新における明治天皇の在り方」がピタッと重なる。明治天皇は若干十六歳の若さでトップの位に就任した。不敬な表現だが、即位したばかりの明治天皇は無知蒙昧なトップであった。しかし、明治天皇は自分よりもずっと格下の志士を先生と尊崇して素直にその教えに順ったと伝わっている。ドナルド・キーン著「明治天皇を語る」新潮新書を要約して引用するとには次のようになる。
「即位したばかり、若き天皇への教育は、中心となったのは、中国の儒教にかかわる書物や日本史の書物を読むことでした。一カ月の間に『論語』の輪講、『日本書紀』の進講がそれぞれ六回。」
「明治四年、熊本から元(もと)田(だ)永(なが)孚(ざね)が儒教の先生として東京に来ました。元田の儒教は実学です。当時の実学は、道徳的完成を通して、国家に役立つ人間を作ることを目的としていました。知識だけでなく、実行することが儒教の本当の意義だと思われていたのです。周囲には元田のことを頑固な保守主義者と見る人もいましたが、天皇や側近からの信頼は厚かった。滅多に他人のことを誉めない大久保利通ですら、この人さえ天皇の側にいれば安心だ、と無条件で認めている。その元田の教えた儒教が、明治天皇に与えた一番大きなものは義務感と克己心でしょう」
「大久保利通は、当時の政府内ではずば抜けた才能の持ち主です。またそれゆえ最高実力者として天皇からの信任も厚かった。大久保利通の暗殺は、天皇にとっても大変ショッキングなことでした。明治天皇が一番信頼していたのは伊藤博文ではないでしょうか。彼は非常に頭がよく、大久保の死後その地位を引き継ぎます。明治天皇のバランスのとれた外国観がどのように形成されたかは定かではありません。しかし、推測するに伊藤博文が影響を与えた可能性は極めて高い。」
 要約・引用は以上である。明治天皇の謙虚さが伝わってくる文章である。山水蒙の五爻に中る明治天皇は、二爻に中る格下の志士の教えを素直に受け容れたから、偉大なるエンペラーと賞賛されるようになったのである。

 以上が山水蒙の概要である。

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