二十九坎為水 ☵ ☵ 坎上坎下
互卦 二七山雷頤☶☳ 綜卦 同(坎為水)
錯卦 三十離爲火☲☲
坎為水は六十四卦の中で最も辛く困難な時である。四大難卦と称される卦がある。「三.水雷屯☵☳」「二十九.坎為水☵☵」「三十九.水山蹇☵☶」「四十七.澤水困☱☵」の四つの卦である。いずれも坎☵が置かれているが、坎為水は上卦も下卦も坎☵である。
坎には次のような性質がある。
「陥る、険しい、困難・険難・艱難、苦労、紆余曲折、悩む、憂う、泣く、流れる、下る、濡れる、溺れる、凹み、冷たい、寒い、寂しい、刑罰、悪、盗み、寇(あだ)、反目、病、貧しい、窮(きゆう)迫(はく)(困窮)、不景気、盗賊、寇(あだ)、悪、神経病、刑、眚(わざわい)、疾(やまい)、羞恥、害悪、敗れる、咎められる、醜い、呆(あき)れる、痛い、薄命、万苦、破廉恥、滅亡、流離、汚名、横着、倒産、潰れる、嫉妬、無頼漢、詐欺、悶える、無情、危急」
これだけのマイナスの性質が上卦にも下卦にも詰まっているのだから六十四卦の中で最も辛く困難な時であることが理解できる。しかし、占筮して坎為水が出ると喜ぶ易占家が少なくない。最も辛くて困難な坎為水の時を乗り越えた人は将来が開けていくことが約束されているからである。坎為水は今は辛くとも将来開けていくことが約束されている開運の卦なのである。
だが、いくら開運の卦だからといって、これだけ辛く困難な時に立ち向かって行くことは実に大変なことである。このような時に立ち向かって行くためには、卦辞・彖辞の「習(しゆう)坎(かん)は孚(まこと)有り。維(こ)れ心(こころ)亨(とお)る。」を肝に銘じて乗り切るしかない。孚は真心、誠の心である。至誠と表現した方が真意を理解できる。
幕末の志士・吉田松陰の座右の言葉は孟子の「至誠にして動かざる者、未だ之有らざるなり」だと云う。これを意訳すると「至誠(これ以上ない誠の心)がある人の思いには、どんな人でも応えざるを得ない。歴史上至誠がある人の思いに、社会(の中の組織や人)が応えなかったことは一度もない」となる。
孟子はこの言葉の前に次の言葉を置いている。「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり」。意訳すると「誠は天の道であり、その誠に近づきたいと思うのが人の道である」となる。すなわち、坎為水の時を乗り越える条件は「天の道」を歩むことである。
天の道とは、私利私欲を持たずに、万物を継続させようとする歩みである。私利私欲を断ち切って、世のため人のために尽くそうとするから、将来が開けていくのである。
いくら開運の卦とはいえ、よほど修養を積み上げなければ乗り越えることができない。それゆえ、筆者は六十四卦の中で坎為水だけは、その時に対応できずに挫折する可能性があると考える。挫折によって、仕事や大切な人、財産など、ありとあらゆるものを失いかねない。場合によっては命を失うこともある。
また、坎為水の艱難辛苦は、二つの落とし穴に例えられる。坎為水の時が始まると突然落とし穴の中に陥る。あまりにも突然なので何が起こったかも理解できない。やがて状況が飲み込めて気持は落ち着くが、どうすることもできない。気持を強く持つしかないが、じっとしているだけでは事態は全く開かれない。
ここで妄動すれば、事態は悪化するだけで、どんどん追い詰められる。易経三八四爻(六十四卦×六爻)の中で最も辛く苦しい艱難辛苦の中で二進(につち)も三進(さつち)も行かなくなり、この事態に対応出来なければ挫折して、ありとあらゆるものを失いかねない。以下省略。