大雪(たいせつ)(二十四節氣の二十一節氣)
【新暦十二月七日ころから二十一日ころまで】
「小雪(しようせつ)」の次の二十四節氣は「大雪(たいせつ)」である。
いよいよ本格的に雪が降り始める時節。雪は古くから花にたとえられ、愛でられてきました。「瑞花(ずいか)」「天花(てんか)」「銀花(ぎんか)」「六華(りつか)」(以下省略)。(絵で楽しむ)
閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)(七十二候の六十一候・大雪(たいせつ)の初候)
【新暦十二月七日ころから十一日ころまで】
意味は「空が閉ざされ真冬が訪れる(絵で楽しむ)」である。
「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
厚く垂れこめた雲に天地の気が塞がれ、真冬となるころ。「閉塞」は字のごとく、閉じて塞ぐこと。空を灰色の雲が塞ぎ、生き物も活動を控えて深閑とした冬の様子を伝えています。
「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」は、易経・陰陽消長卦の「坤為地」六四に中る。次に「坤為地」六四の文章(爻辞と小象伝)を示す。
「坤為地」六四の言葉は【新暦十二月七日ころから十一日ころまで】に当て嵌まる。
坤為地六四(易経・陰陽消長卦)
《爻辞》
六四、括嚢。无咎无譽。
○六(りく)四(し)、嚢(ふくろ)を括(くく)る。咎(とが)も无(な)く譽(ほまれ)も无(な)し。
六四の大臣は六五の君主を脅かす地位(君主の側近)に居る。それゆえ袋の口をしっかりと結ぶように才德を包み隠して、愚(ぐ)人(じん)の如く振る舞うべきである。
以上のようであれば過ちを犯すことはないが、君主の側近なのだから、誉められることもないのである。
《小象伝》
象曰、括嚢、无咎、愼不害也。
○象に曰く、嚢(ふくろ)を括(くく)る、咎(とが)も无(な)しとは、愼(つつし)めば害あらざる也。
小象伝は次のように言っている。柔陰の君子が君主を脅かす地位に居る時は、愚人のように慎むことによって、迫害される(側近が優秀なので君主がその座を奪われることを恐れて、側近を排除しようとする)ことを免れるためである。
「坤為地」六四の之卦は「雷地豫」である。次に「雷地豫」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「雷地豫」の九四の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「坤為地」の六四と同じく【新暦十二月七日ころから十一日ころまで】に当て嵌まる。
雷地豫(坤為地六四の之卦)
《卦辞・彖辞》
豫、利建侯行師。
○豫(よ)は、侯(きみ)を建(た)て師(いくさ)を行(や)るに利(よろ)し。
豫は悦び楽しむ時である。一陽九四に五陰が順い動く。地中に潜蔵していた陽気が雷動(春雷)で地上に出て、草木は芽を出し、花が咲き、天地萬物悦楽する。
喜び楽しむ豫の時は、諸侯を建てて(側近に任せて)兵を動かす(組織を運営する)が宜しい。諸侯(側近)は民(部下や民衆)を悦楽させ、兵(組織)は暴逆を討伐(組織に対する反逆を制圧)する。(公田連太郎述「易経講話二」明德出版社には、豫の字の本義について次のように説明してある。以下、要約して引用する。「豫の字の本義は、大きい象(ぞう)である。説文の注によれば、ゆっくりとしてゆるやかなるものである。心が広く、ゆったりとして、ゆとりがあるので、悦び楽しむことができるのである。ゆったりとしておるので、あらかじめ後の備えをすることもでき、落ちついて楽しむこともできるのである。説文には『豫は象の大なる者なり』とあり、その注に『此れ豫の本義なり。大なれば必ず寛裕なり。故に事に先だちて備う、之を豫と謂う』といってある。また、悦楽の豫が行き過ぎたのが、遊び楽しむの豫となるのである。以上、要約して引用した。)
このことから、豫とは寛裕で事前に準備するから悦び楽しむことであるが、悦び楽しむことが行き過ぎると、遊び楽しむ、すなわち、乱れるという意味になることがわかる。豫の卦辞・彖辞、彖伝、大象伝には、豫の悦び楽しむ面から文章が書いてあるが、爻辞と小象伝には、豫の遊び楽しむ、すなわち乱れる面から文章が書いてあるように感じる。
《彖伝》
彖曰、豫剛應而志行。順以動豫。豫順以動。故天地如之、而況建侯行師乎。天地以順動、故日月不過而四時不忒。聖人以順動。則刑罰清而民服。豫之時義、大矣哉。
○彖に曰く、豫は剛(ごう)應(おう)ぜられて志行なわる。順以て動くは豫なり。豫は順以て動く。故に天地も之(かく)の如(ごと)し、而(しか)るを況(いわ)んや侯(きみ)を建(た)て師(いくさ)を行(や)るをや。天地は順以て動く、故に日(じつ)月(げつ)過(あやま)たずして四(しい)時(じ)忒(たが)わず。聖人順以て動く。則(すなわ)ち刑罰清くして民(たみ)服(ふく)す。豫の時(じ)義(ぎ)大(だい)なる哉(かな)。
彖伝は次のように言っている。豫は一陽九四に五陰が応じて側近九四の志が成し遂げられる。天地の道に順い動くのが豫の時。「順以て動く(柔順に従って行動する)」ことが豫の性質である。天地が生成発展するのは順以て動くからである。
諸侯を建てて(側近に任せて)兵を動かす(組織を運営する)には、「順以て動く(柔順に従って行動する)」性質に拠(よ)らねばならぬ。
天地は順以て動き(柔順に従って行動するから)生成発展する。それゆえ日(じつ)月(げつ)の運行を過(あやま)つことなく、四季の循環を違(たが)うことはない。聖人も順以て動き(天地の道に柔順に従って行動するから)政治を施すことができる。天地の道に柔順に従って清く正しく刑罰を執行すれば民(たみ)は帰服する。豫の時の意義は何と偉大なことであろうか。
《大象伝》
象曰、雷出地奮豫。先王以作樂崇德、殷薦之上帝、以配祖考。
○象に曰く、雷の地を出でて奮(ふる)うは豫なり。先王以て樂を作り德を崇(たつと)び、之を上帝に殷(いん)薦(せん)し、以て祖考を配す。
大象伝は次のように言っている。地(ち)中(ちゆう)に潜(せん)蔵(ぞう)していた陽気が雷(らい)動(どう)により地上に奮(ふる)い出て雷(らい)鳴(めい)轟(とどろ)くのが豫の形ある。昔の王様はこの形に倣(なら)って音楽を制作して德を尊(そん)崇(すう)し、天の神を祭る際に祖先(亡父を含む)を合(ごう)祀(し)したのである。
雷地豫九四(坤為地六四の之卦・爻辞)
《爻辞》
九四。由豫。大有得。勿疑。朋盍簪。
○九四。由(ゆう)豫(よ)す。大いに得る有り。疑(うたが)う勿(なか)れ。朋(とも)盍(あ)い簪(あつ)まる。
九四は才德を具えた豫(よ)楽(らく)の主(あるじ)である。衆(しゆう)陰(いん)を率(ひき)いて天下を治めるので、上下萬(ばん)民(みん)大いに豫楽を得る。六五の天子・トップの補佐役・側近として、嫉妬と疑惑が蠢(うごめ)く厲(あやう)い地位に在るが、決して人を疑ってはならぬ。
至誠を尽くせば同志が集い、豫(よ)楽(らく)の時を助け合う。至誠を失えば…
《小象伝》
象曰、由豫、大有得、志大行也。
○象に曰く、由(ゆう)豫(よ)す、大いに得る有りとは、志大いに行われる也(なり)。
小象伝は次のように言っている。九四が衆陰を率(ひき)いて天下を治めるので、上下萬(ばん)民(みん)大いに豫(よ)楽(らく)を得るのは、天下を治めて豫楽を施(ほどこ)そうとする九四の志が成し遂げられた(至誠を尽くした)からである。至誠を失えば…