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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その三九

富強第十三
【この篇、為政者たる者は国民をしてまず生活の安定を得させなくてはならない。そうしたならば兵はおのずから強くなる。しかるに今や国民の窮乏は甚だしく、民心は離反するばかりで当然兵また弱い。こういう状態では英雄豪傑がひとたび起き上がったならば、たちまち伐ち滅ぼされてしまうであろうといった。(注)】

 柳(りゆう)子(し)いはく、食(しよく)足(た)るこれを富(とみ)といひ、兵(へい)足(た)るこれを強(きよう)といふ。富(と)み且(か)つ強きは、天下の大(たい)利(り)なり。食(しよく)既(すで)に足(た)り、兵(へい)既(すで)に強し。しかる後(のち)國(くに)以(もつ)て虞(おそれ)なかるべきなり。ここを以(もつ)て先(せん)王(おう)珠(しゆ)玉(ぎよく)を貴(たつと)ばずして、稻(とう)梁(りよう)を貴(たつと)び、姫(ひめ)妾(めかけ)を愛せずして、黎(れい)庶(しよ)を愛す。いはゆる無益を以(もつ)て有益を害せざるなり。故(ゆえ)に盤(ばん)石(じやく)千(せん)里(り)も、富といふべからざるなり。偶(ぐう)人(じん)百(ひやく)萬(まん)も強(きよう)といふべからざるなり。盤(ばん)石(じやく)は粟(あわ)を生(しよう)ぜず、偶(ぐう)人(じん)は敵を拒(ふせ)がざればなり。地(ち)廣(ひろ)くして食に乏しく、民(みん)衆(おお)くして使(つか)はれずんば、なんぞ以(もつ)て盤(ばん)石(じやく)と偶(ぐう)人(じん)とに異(こと)ならんや。これただに天下をのみ然(しか)りとなさず。諸侯の國(くに)に於(お)ける、大(たい)夫(ふ)の家に於(お)ける、士(し)の妻(さい)孥(ど)に於(お)ける、皆しからざるはなきなり。故(ゆえ)に聖(せい)王(おう)はその寒(かん)を怖れず、而(しか)して能(よ)く民(たみ)の寒(かん)を蔽(おお)ひ、その饑(き)を厭(いと)はず、而(しか)して能(よ)く民(たみ)の饑(き)を救ふ。飲食を菲(うす)くし、衣服を惡(あし)くし、而(しか)して人これを間(かん)然(ぜん)することなき所以(ゆえん)なり。易(えき)にこれあり、上を損して下を益(えき)すと。益(えき)の象(しよう)を然(しか)りとなす。下を損して上を益(えき)すと、損の象(しよう)を然(しか)りとなす。

 大(だい)貳(に)先生(柳(りゅう)子(し))はおっしゃった。
 食糧が国中広く遍く行き渡ることを「富む」、戦に常勝するほど兵隊が数多くいることを「強い」と云う。「富み」かつ「強い」国家は国民に大きな利益を及ぼす。食糧が国中広く遍く行き渡り、戦に常勝するほど兵隊が数多くいる国家には心配事がなくなる。
 昔の優れた王さまは宝石の珠を大事にすることなく、稲や粟など穀物を大事にして、お妃様や側室を溺(でき)愛(あい)することなく、何よりも民衆を慈(いつく)しんでくださる。王さま自身の利益よりも民衆の利益を優先するのである。
 岩石が何千里にも及ぶ万里の長城を築き上げても、食糧が国中遍く行き渡るわけではないので、国が「富む」とは云えない。木偶(でく)の坊のような人々が兵隊になっても、戦に勝てるわけではないので、国が「強い」状態とは云えない。岩石は粟を生産するわけでもなく、木偶の坊の兵隊は役に立たない。万里の長城を築いたところで広大な国土に食糧が行き渡ることなく、民が沢(たく)山(さん)集まっているのに木偶の坊で役に立たないとしたら、「富み」かつ「強い」天下国家を築き上げることはできない。
 以上は、天下国家のみならず、大小あらゆる組織に当て嵌まる。諸侯が治めている各藩にも、中堅役人が治めている名家にも、武士の治めている家族(妻子)にも、みな、同じことが当て嵌まるはずである。
 それゆえ、昔、聖人と称されたような王さまは、寒(かん)気(き)が襲ってきても寒さを物ともしない確(かつ)乎(こ)不(ふ)抜(ばつ)の志を抱(いだ)いて善政を行い、民衆が寒気で寒さに苦しんでいる時は、自分は寒さに耐え質素な衣服を着て、民衆を寒さから守ろうとした。不作で饑(き)饉(きん)になった時には自分は節制して食を慎み、民衆が食糧を確保できるように努めた。
 聖人と称されたような王さまが、質素な衣服を纏い、節制して食を慎む姿を見て、民衆の心は救われたのである。王さま自らが寒さに耐え、食を慎んでいるのであるから、民衆も寒気や饑饉に耐えることができたのである。
 飲食を節約(質素に・注)して、衣服を倹約する。それでも、人々はそのことを非難や批判をしない。聖人と称される王さまが、饑(き)饉(きん)になった時に民衆を救ってくれるからである。四書五経の筆頭である「易(えき)経(きよう)」に次のような教えがある。
 一つは「風(ふう)雷(らい)益(えき)」と云う卦(か)の「上位に居る人々が損して、下位に居る人々が利益を得る」と云う物語である。この物語は、王さまを始めとして上位に居る人々がこれまでの備蓄を取り崩して下位に居る民衆に分け与えることに例えることができる。
 もう一つは「山(さん)沢(たく)損(そん)」と云う卦(か)の「下位に居る人々が損して、上位に居る人々が利益を得る」と云う物語である。この物語は、下位に居る民衆が飲食を節約したり、衣服を倹約したりして、収穫物の一定割合を王さまを始めとする上位に居る人々に税として収めることに例えることができる。

 天地の至(し)理(り)、自(みずか)らかくの如(ごと)き者あり。闇(あん)君(くん)庸(よう)主(しゆ)は、務(つと)めてその國(くに)を弱くし、務(つと)めてその民(たみ)を貧しくす。故(ゆえ)に天下を有(たも)てば、則(すなわ)ち天下これが爲(ため)に怨(うら)み、一(いつ)國(こく)を有(たも)てば、則(すなわ)ち一(いつ)國(こく)これが爲(ため)に怨(うら)む。怨(うら)めば則(すなわ)ち叛(そむ)き、叛(そむ)けば則(すなわ)ち濫(らん)す。かくの如(ごと)くして難(なん)の及ばざる者は、未(いま)だこれあらざるなり。古(いにしえ)に稱(しよう)す。國(くに)九(く)年(ねん)の蓄(たくわえ)なきを貧(ひん)といひ、六年の蓄(たくわえ)なきを窮(きゆう)といひ、三年の蓄(たくわえ)なきを、國(くに)その國(くに)に非(あら)ずといふ。それその蓄積は、豈(あ)にただに自(みずか)ら養(やしな)ふが爲(ため)のみならんや。また將(まさ)に以(もつ)てその民(たみ)を救ひその難(なん)に備(そな)へんとするなり。後(こう)世(せい)の國(くに)を有(たも)つ者、或(あるい)は一年の食なく、甚(はなは)だしき者は、數(すう)歳(ねん)の入(いり)を逆(ぎやく)折(せつ)し、尚(なお)且(か)つ足(た)らず、而(しか)してこれを大(たい)夫(ふ)に取る。大(たい)夫(ふ)足(た)らず、而(しか)してこれを士に取る。士足らず、而(しか)してこれを妻(さい)孥(ど)に取る。豈(あ)にただに國(くに)その國(くに)に非(あら)ざるのみならんや。一(いつ)旦(たん)これが爵(しやく)を奪(うば)ひ、それをして盡(ことごと)くその債(さい)を償(つぐな)はしめんか、子を易(か)へ骨を析(さ)くといへども、吾(われ)は一(いつ)飯(ぱん)をも給(きゆう)する能(あた)はざるを知るなり。それかくの如(ごと)くなれば、則(すなわ)ち何を以(もつ)て能(よ)く王室に藩(はん)屛(ぺい)として、而(しか)してその封(ほう)疆(きよう)を固(かと)うせんや。ここを以(もつ)て士(し)日(ひ)〃(び)に窮(きゆう)し、その民(たみ)日(ひ)〃(び)に叛(そむ)き、忿(ふん)怨(えん)激(げき)發(はつ)、自(みずか)ら凌(りよう)犯(はん)の心なき能(あた)はず。屛(へい)息(そく)してこれを避(さ)く。則(すなわ)ち天下は實(まこと)に慮(おもんぱかり)を容(い)るるものなきに似たり。闇(あん)愚(ぐ)の主(あるじ)は、乃(すなわ)ち以(もつ)て彼(かれ)貧(まず)しうして我(われ)富(と)み、彼(かれ)卑(いや)しうして我(われ)尊(たつと)く、則(すなわ)ち盤(ばん)石(じやく)の固(こ)を以(もつ)て、泰(たい)山(さん)の安(やす)きに居(お)り、治(ち)平(へい)の術(じゆつ)、以(もつ)て尚(くわ)ふることなしとなす。姦(かん)臣(しん)賊(ぞく)吏(り)、聚(しゆう)斂(れん)附(ふ)益(えき)し、以(もつ)てその心を悦(よろこ)ばし、阿(あ)諛(ゆ)逢(ほう)迎(げい)し、以(もつ)てその旨(むね)に順(したが)ひ、甚(はなは)だしきは則(すなわ)ちこれを唐(とう)虞(ぐ)三(さん)代(だい)の治(ち)に比(ひ)し、雅(が)を爲(つく)り頌(しよう)を爲(つく)り、曾(あ)つて箴(しん)規(き)の言(げん)あるなく、しかもそれをして自(みずか)らその智(ち)に誇(ほこ)り、自(みずか)らその德(とく)に伐(ほこ)り、事情を知るなく、時勢を知ることなからしむ。

 これらは、天地の道理に適(かな)っている。暗(あん)君(くん)を始め愚(おろ)かな指導者は努力する方向性が誤っているので、天下国家はどんどん弱くなり、民衆はどんどん貧しくなる。
 だから、愚(おろ)かな指導者が天下国家を治めると天下国家に属する全ての関係者から怨まれることになる。やがて国民の怨みは叛(はん)乱(らん)につながり、叛(はん)乱(らん)が起これば天下国家はどんどん乱れていく。以上のようであるから、愚かな指導者が治める国においては、悪政による災難を被(こうむ)らない国民は一人もいないのである。
 礼(らい)記(き)と云う古典の王制編に見られる言葉(注)に「九年分の備蓄のない国家を貧しい国家と云い、六年分の備蓄のない国家を窮(きゆう)する国家と云い、三年分の備蓄しかない国家はもはや国家とは云えない」とある。
 国家が備蓄して非常時に備えるのは、為(い)政(せい)者(しや)が自分達を守るためだけに行われるわけではない。非常事態に陥(おちい)ったときに、民衆を守って、非常事態を乗り越えるために備蓄するのである。ところが、現在の為政者が治めている国や藩には食糧一年分の備蓄もなく、非(ひ)道(ど)い場合は、数年分の税負担を貢ぎ物として前(ぜん)納(のう)させ(注)ておきながら、それでも食糧に事欠くと云う体たらくである。
 貢ぎ物を前納させても不足する場合は、大夫と云われる中堅の役人から富を奪い取り、それでも不足する場合は下級役人である武士から富を奪い取る。それでも不足する場合は、中堅の役人や下級役人の妻子から富を奪い取る。
 以上のように食糧に事(こと)欠(か)くしわ寄せは末(まつ)端(たん)まで及ぶのである。
 このような国家は国家とは云えないと非難するだけでは済まされない。このような暗(あん)愚(ぐ)な為(い)政(せい)者(しや)(幕府や各藩の諸侯)から爵(しやく)位(い)などの地位や名誉を剥奪して財産を換金し、借財を全額返済させたところで、「子を取り換えて食べ、骨をさきくだいて炊(かし)いで食べるように、甚(はなは)だしく困窮し難(なん)儀(ぎ)している(注)」状況は変わらない。暗(あん)愚(ぐ)な為(い)政(せい)者(しや)(幕府や各藩の諸侯)は、自分の全財産を換金して借財を全額返済しても、一食分の食糧すら供給はできないことを知っているのである。
 以上のようであるから、どうして皇室をお守りすることができようか。暗(あん)愚(ぐ)な為政者(幕府や各藩の諸侯)に仕えて、その悪政に従うことができようか。
 このままでは、武士は益々行き詰まり、甚だしく困窮し難儀している民衆は叛(はん)乱(らん)を起こしたくなるであろう。武士や民衆の怒りと怨みが激しく噴出して、自暴自棄の心境に陥るであろう。しかし、叛(はん)乱(らん)を起こしたくても起こせない武士や民衆は、じっと息を殺して耐え凌(しの)いでいるしかない。悪政が蔓延(はびこ)る天下国家においては、誰も世の中を慮(おもんぱか)って考えをめぐらすことができない。自分が立ち上がって世のため人のために発憤努力することなく、その日暮らしに明け暮れている。
 闇(あん)愚(ぐ)な為(い)政(せい)者(しや)(幕府や各藩の諸侯)たちは、武士や民衆を貧困に追いやりながら、自分たちは裕福である。武士や民衆を低い地位に追いやって、高い地位に居(い)座(すわ)っている。盤(ばん)石(じやく)の独裁体制を固め、泰(たい)山(さん)の頂(いただき)に安(あん)居(きよ)している。治(ち)国(こく)平(へい)天(てん)下(か)を実現する意志は皆(かい)無(む)である。自分のことしか考えない悪(わる)賢(がしこ)い部下や自分の利益のために国益に反することを平気で行う国(こく)賊(ぞく)的な役人たちが、幕府の将軍や各藩のお殿さまに忖(そん)度(たく)し、増税して幕府や各藩の財産を増やしている。
 下っ端の役人が上役に媚(こ)び諂(へつら)ってご機嫌を窺(うかが)い、上役の言われるがままに悪政を行っている。非(ひ)道(ど)い場合には古代中国における太平の世の中(堯(ぎよう)・舜(しゆん)と云う伝説の君主と夏(か)・殷(いん)・周(しゆう)の三王朝)と肩を並べるような治(ち)国(こく)平(へい)天(てん)下(か)を実現していると嘯(うそぶ)き、今の社会の「徳を誉め讃える歌(注)・上品で趣のある歌、みやびやかな歌(コトバンク)」を作らせる。そして、このようなお上を戒(いまし)め諫(いさ)めようとする臣(しん)下(か)は誰一人いない。
 以上のようであるから、幕府の将軍や各藩のお殿さまは裸の王様のようになって、自らの知恵を誇り、自分は人徳者だと思い込み、真実の自分の姿を知ることなく、世の中の事情や時勢を全く理解できないのである。

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