この故(ゆえ)に都(と)下(か)の衣食を給する、日に鉅(きよ)萬(まん)を盡(つ)くし、金を餐(くら)い玉を薪(まき)にして、猶(なお)且(か)つ以(もつ)て慊(あきた)らずとなす。乃ち關(かん)外(がい)四(し)野(や)の民、千里に輸(ゆ)運(うん)し、力を盡(つく)し財を竭(つく)す。行(こう)役(えき)數(すう)歳(さい)、田蕪(あ)れ野(の)荒(あれ)る。夫はその鋤(すき)を廢し、婦はその機を罷(や)む。ただ末(すえ)をこれ逐(お)ひ、ただ利をこれ求む。また何ぞその妻(つま)孥(こ)を恤(うれ)ふるに暇(ひま)あらんや。古(こ)人(じん)いふあり、いはく、一(いつ)夫(ぷ)耕(たがや)さざれば、則(すなわ)ち天下その饑(ひだる)を受くる者あらん、一(いつ)婦(ぷ)織(お)らざれば、則(すなわ)ち天下その寒(かん)を受くる者あらんと。乃(すなわ)ち窮(きゆう)民(みん)の無(ぶ)聊(りよう)なる者、或(あるい)は異(い)術(じゆつ)を挟(はさ)みて、愚(ぐ)人(じん)を眩(げん)惑(わく)し、或(あるい)は憤(ふん)怒(ど)激(げき)發(はつ)して、正(お)長(さ)を劫(ごう)掠(りやく)し、甚(はなは)だしきは則(すなわ)ち壘(るい)を踰(こ)え城に登り、逼(せま)りてその主(あるじ)に訴(うつた)ふる者あるも、また皆これをなせば則(すなわ)ち得(え)、なさざれば則(すなわ)ち失(うしな)ふが故(ゆえ)のみ。今の俗(ぞく)吏(り)の如(ごと)き、生れて輦(れん)轂(こく)の下にあり、ただこの富(ふ)足(そく)を見て、未(いま)だ彼(かれ)の窮(きゆう)乏(ぼう)を知らず。輒(すなわ)ちいはく、古今の盛(せい)世(せい)なり、天下の美(び)土(ど)なりと。殊(こと)に陰陽泰(たい)否(ひ)、變(へん)易(えき)定まらずして、此(これ)に益(えき)せば則(すなわ)ち彼に損するは、天地の至(し)理(り)なるを知らざるのみ。一旦不測の難あり、旌(せい)旗(き)目を掩(おお)ひ、金(きん)鼓(こ)耳を駭(おどろ)かし、矛(ぼう)戟(げき)前に當(あた)り、矢(し)石(せき)後に接し、騎(き)卒(そつ)並び奪ひ、而(しか)して水火これに乗ぜんか、その將(まさ)に何の謀(はかりごと)に出(い)でんとするかを知らざるなり。これを拒(ふせ)ぐ者は吏(り)士(し)、これを禦(ふせ)ぐ者は卒(そつ)徒(と)なるも、また皆群(ぐん)聚(しゆう)瓦(が)合(ごう)の兵、進退ただその利を見るのみなれば、則(すなわ)ち鞭(むち)を揮(ふる)って走り、旗(はた)を負(お)うて遁(のがれ)る、固(もと)より以(もつ)て前(ぜん)知(ち)すべきなり。
このように郷土や藩を捨てて大都市で暮らしている人々は、自分の利益しか考えない。毎日、お金を儲けることだけを追求する。餓鬼が食べ物に食らい付くようにお金を求め、薪を集めるように財宝を求める。それでもまだ飽き足らずにお金や財宝を求め続ける。関所の外、四方八方から野(や)人(じん)が大都市に押し寄せて来て、大都市を駆け回り、必死になってお金儲けを企(たくら)む。役所の命令によって国境の警備や土木工事などの労役に従事する者は、年々数えるほどに少なくなり、田畑など農地は荒れ果てる。農家においては夫が鍬(くわ)や鋤(すき)を捨て、妻は機(はた)織(お)りを止める。
郷土や藩を捨てて大都市で暮らしている人々は、ただ目先の事に囚(とら)われて、ただ自分の利益だけを追求している。そのような人々は自らの妻子を心配するゆとりもないのである。漢(かん)書(じよ)などの古典には次のような文章が見られる。「一人の夫が田畑を耕すことを放棄して、そのような動きが広がれば、やがて天下国家は飢(き)餓(が)に襲(おそ)われることになる。一人の妻が機(はた)を織ることを放棄して、そのような動きが広がれば、やがて天下国家の人々は寒さを凌(しの)ぐ衣服を失うことになる」。
このように、生活に窮する民衆は心が暗くなり、奇抜な事をやり始めるので、愚かな人々は眩(げん)惑(わく)される。或(ある)いは、憤怒して事件などが勃(ぼつ)発(ぱつ)し、あらゆる分野の指導者を脅して財産などを奪い取る。甚(はなは)だしい場合は、城壁を越えて城内に突入し、お殿様に直接訴える者すら現れる。このような振る舞いは、生活に窮した民衆が已(や)むに已(や)まれぬ思いで何かを得ようとして起こすことである。手を拱(こまね)いて何もしなければ、生活に窮して何もかも失ってしまうからである。
現在の低俗な役人共は、生まれた時から、まるで「お殿様の駕籠」に乗っているように安楽な生活をしてきたので、自分や同僚が経済的に豊かなことを当たり前のように感じており、生活に窮する民衆の実態を知らない。だから、低俗な役人共は今の世を国運の栄えている太平な時代で、日本は美しい国土に恵まれていると楽観している。世の中は陰陽消長して移り変わって、安泰な社会はいつまでも続かず、やがて閉塞した社会となることを考えようともしない。世の中には変わらざるものは何一つない。全ての現象は変化し続けると云う原理原則(世の真理)を知らない。どんな社会においても、誰かが利益を得る時には、一方で必ず損失を出す人がいると云う至極当たり前の理屈を知らないのである。一旦、不測の災難に見舞われれば、色々な人が目を覆いたくなるような暴論を吐き、役人共はとんでもない命令を太鼓を打ち鳴らすように発して民衆を驚かせ、矛や刀を振り回す人まで現れる。遂には矢や石の飛び交う戦場のような暴動に発展し、民衆を収めるために騎馬に乗った武士が出動しても暴動は収まらず、洪水や火事のように暴動は激化する。どうしてこのような事態に発展したのか、誰もその理由が分からず、ちんぷんかんぷんである。このような事態にならないように牽制する役割は、本来、文官である役人や武士が担っており、このような事態にならないように防御する役割は、本来、武官である兵隊(武士)が担っているはずなのに、烏合の衆(鳥の群れのように統一も規律もなく集まった群衆・大辞林)のような兵隊は、損得勘定だけで進退を決めてしまう。何か罰を与えれば一生懸命に活動するが、使命感が皆無なので、一旦、追い込まれると旗を掲げたまま逃走してしまう。このことを、前もって知っておくべきではないだろうか。
況(いわん)んや士(し)人(じん)の使ふ所の、奴隷輿(よ)夫(ふ)の賤(いや)しき者は、亡(ぼう)命(めい)無(ぶ)頼(らい)、恩なく義なく、或(あるい)は刀(とう)鋸(きよ)の餘(よ)に出で、傭(よう)力(りよく)して口を糊(こ)し、寄(き)寓(ぐう)して生をなす者、尚(なお)何ぞその曲(きよく)制(せい)たるを望まんや。これを以(もつ)て緩(かん)急(きゆう)に使ふべしとなすは、また愚(ぐ)の甚(はなは)だしきならずや。これ皆一時(いつとき)の小利を見て、後(こう)患(かん)を慮(おもんぱか)らず、人窮(きゆう)し民(たみ)憂(うれ)へて、禍(か)根(こん)を培(ばい)養(よう)する者のみ。故(ゆえ)に古(いにしえ)の天下を治(おさ)むる者は、務(つと)めてその利を平(たいら)かにし、務(つと)めてその窮(きゆう)を贍(にぎ)はし、廣(ひろ)く四(し)國(こく)に及ぼし、推(お)して四(し)表(ひよう)に達せり。しかる後(のち)民(たみ)その土に安んじ、人その業を専(もつぱ)らにす。ここを以(もつ)て世は長(なが)へに清(せい)平(へい)にして、國(くに)は日に富(ふ)庶(しよ)なり。書にいはく、偏(へん)なく黨(とう)なく、王(おう)道(どう)蕩(とう)蕩(とう)。黨(とう)なく偏(へん)なく、王(おう)道(どう)平(へい)平(へい)と。民(たみ)を治(おさ)むるこれを蕩(とう)といひ、國(くに)を治(おさ)むるこれを平(へい)といふ。豈(あ)に偏(へん)なく黨(とう)なきのいひに非(あら)ずや。今の政(まつりごと)をなす者は、それ蕩(とう)蕩(とう)をなすか、それ平(へい)平(へい)をなすか。
言うまでもなく、武士が雇っている使用人や都合のよい時だけすり寄ってくる「今だけ自分だけお金だけ」しか考えられないような低俗な人々は、自分の利益のためには、脱藩することも厭わない無頼人である。恩知らずで道徳心が欠如しており、場合によっては罪を犯して牢獄に入れられることもある。権力を手に入れれば口を閉ざし、寄生虫のように世の中を渡り歩く、どうして、このような人々に「法令や規則を守らせること(注)」ができるであろうか。
以上のことを踏まえて、「法令や規則を守らせること」を緩やかにすべきと主張するのは、全くもって愚かしいことである。そのようなやり方は、その場しのぎの対応で問題を先送りしているだけである。先々のことを全く考えないその場しのぎの対応ではますます行き詰まって、民衆はさらに困窮する。困窮の度合いをさらに悪化させるだけである。それゆえ、武家が台頭する前の歴代天皇陛下は、国の得た利益が遍く民に行き渡ることを第一に考え、民が困窮しないように配慮して民の不足を補って、日本中の民が幸せになることを祈って慈しみの統治をしたのである。
大御宝として天皇に守られた民衆は幸せを実感できた。だからこそ、民は居住している郷土に安心して生活することができ、農業や職人などそれぞれの役割分担としての本業を全うすることができたのである。以上のような統治が行われたから、世の中は長期に渡って清き明るく平和な状態が保たれた。日本の国は日に日に豊かになり、民は益々幸せになった。このような社会の状態を中国古典の書経には次のように書いてある。「王道政治(愛情を基とした政治)というものは広く大きく平らかで、かたよって一部の者にだけ与(くみ)するということがない」。現在の幕藩体制による統治は、果たして「広く大きく平らか」と云えるであろうか。