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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その二七

 仲(ちゆう)尼(じ)の言(げん)にいはく、これを道(みちび)くに德を以(もつ)てし、これを斉(せい)しうするに禮(れい)を以(もつ)てすれば、恥ありて且(か)つ格(ただ)し。これを道(みちび)くに政(まつりごと)を以(もつ)てし、これを斉(せい)しうするに刑(けい)を以(もつ)てすれば、民(たみ)免(まぬ)がれて恥なしと。またいはく、君子は德を懐(おも)ひ、小(しよう)人(じん)は土(ど)を懐(おも)ふ。君子は刑(けい)を懐(おも)ひ、小(しよう)人(じん)は恵(けい)を懐(おも)ふと。苟(いやしく)も民(たみ)を憂(うれ)ふるの心あらば、またなんぞこれが處(ところ)をなさざるや。ああ今の刑を用ふる、先(せん)王(おう)の法に由(よ)らずといへども、しかもその刑に處(しよ)し罪を論ずるは、必ずしも當(あた)らずとせざるなり。磔(はりつけ)、梟(さらしくび)、火刑(ひのけい)の如(ごと)きに至りては、則(すなわ)ち蠻(ばん)夷(い)のなす所、これに加(くわ)ふるに族(ぞく)滅(めつ)を以(もつ)てす、酷(こく)なること極(きわ)まれり。故(ゆえ)に一家を燔(や)けば、則(すなわ)ち身(み)既(すで)に灰(はい)せられ、一禽(いつきん)を殺せば、則(すなわ)ち族(ぞく)頓(とみ)に赤(せき)せらる。長(ちよう)陵(りよう)一(いつ)抔(ぽう)の土を盗むが若(ごと)きあらば、則(すなわ)ち吾(われ)未(いま)だ何を以(もつ)てこれに加へんかを知らざるなり。然(しか)りといへども死は一のみ。日にその口を減らし、月にその戶(こ)を損し、而(しか)して國(くに)その弊(へい)を受(う)くれば則(すなわ)ちやむ。かの放(ほう)逐(ちく)して跡(あと)を削(けず)り、籍没(せきぼつ)して死(し)一(いつ)等(とう)を滅(めつ)するが若(ごと)きは、則(すなわ)ち寛(かん)に以(もつ)て實(じつ)は太(はなは)だ酷(こく)なり。これただ割拠(かつきよ)の遺(い)を承(う)けて、苟且(かりそめ)の策を立つるもの、要は統一の制に非(あら)ざるなり。

 孔子(仲尼)は次のように言っている。
「民を導くために、道徳に基づいた政治を行い、民を統制するために、礼楽制度を普及させれば、民は自らの言行を道徳や礼楽制度に照らし合わせて、足りないところを恥ずかしいと思うようになり、自らを修める努力を行うようになる。しかし、民を導くために、法律や規則を楯にして民を抑え込んで、民を統制するために、刑罰を厳しく適用すれば、民は法律や規則の抜け穴を見つけるようになり、道徳的な正しさを考えない恥知らずな人間になる」。
 また、孔子は次のようにも言っている。
「君子は、いつも道徳的な言行を心がけて、自らを修めている。小人は、居住している土地で安楽に暮らしたいと願っている。君子は、自らに刑を科すような厳しい生き方を志向する。小人は、人から恩恵を与えられることを願っている」。
 指導者に民を慈しみ心配する心があれば、民は今の暮らしや社会に安んずることができる。今の指導者には民を慈しみ心配する心が欠けており、民を統制するために刑罰を厳しく適用している。だが、歴代天皇陛下が定めた法律や規則には基づかないとしても、刑罰を執行したり、罪を議論することは、必要なことである。
 しかし、磔(はりつけ)の刑、さらし首の刑、火あぶりの刑などの極刑に至れば、これはもはや、野蛮人や未開人の蛮行(ばんこう)である。さらに極悪人の一族・血族全体を対象とする皆殺し(九族皆殺しとも呼ばれる)となれば、これ以上に残酷な蛮行(ばんこう)は見られない。このような蛮行が横行するようになれば、放火犯は火あぶりの刑で灰になるまで罰せられ、禽獣のように人を殺した犯人の家族は、九族皆殺しとなる。
「長(ちよう)陵(りよう)一(いつ)抔(ぽう)の土(漢の天子の墓のひとつかみの土。漢(かん)書(じよ)、張(ちよう)釈(せき)之(し)伝(でん)に『もし愚民、長(ちよう)陵(りよう)一(いつ)抔(ぽう)の土を取らば陛下まさに何をもってその法を加えんとするか』とある・注)」を盗むような大罪を犯したとしたら、想像を絶するほど恐ろしい刑罰が執行されるであろう。
 誰もが死を迎えるのは一度だけである。毎日誰かが死んでいき、毎月どこかの家が断絶する。国家も他国に侵略されれば、亡ぼされて消滅する。誰かを追放して、その痕跡を消し去り、戸籍を抹消して、その人がこの世に存在しなかったようにすることは、一見、刑罰を緩やかに適用しているように見えるが、実に残酷なやり方である。このようなやり方は、自分の領地を守るために、その場限りの対策を講じているだけで、社会を統一するやり方ではない。

 即(すなわ)ち重(じゆう)罪(ざい)過(か)惡(あく)の者、左に逐(お)はれて右に入り、前に放(はな)たれて後(うしろ)に居(い)る。則(すなわ)ちこれを懲(こら)すといへども、産(さん)なく業(ぎよう)なく、その身を如何(いかん)ともすべからず。則(すなわ)ち竊(せつ)盗(とう)劫(ごう)掠(りやく)するは、一に已(や)むを得ざるに出(い)づ。これなんぞその禍(わざわい)を除(のぞ)くにあらんや。假(か)りにそれをして禁(きん)錮(こ)して身を處(お)く所なからしむるも、則(すなわ)ち絞(こう)斬(ざん)即(そく)死(し)の愈(まさ)れるに若(し)かざるなり。それしからば則(すなわ)ち窮(きゆう)する者日に多く、而(しか)して仁(じん)及ばず。賊(ぞく)する者日に衆(おお)くして、刑及ばず。既(すで)にその安んずべきに安んぜず、またその懼(おそ)れるべきに懼(おそ)れず。必ず窺窬(きゆ)の徒(と)あるに至らん。且(か)つ今天下の士と民と、固(もと)よりその君を愛せざるに非(あら)ざるなり。またその上(うえ)を懐(おも)はざるに非(あら)ざるなり。然(しか)れども苟(いやしく)もその職に安(やす)んぜざれば、則(すなわ)ち或(あるい)は奇(き)邪(じや)の行(おこない)をなし、その業に安んぜざれば、則(すなわ)ち變(へん)じて末(まつ)利(り)の計をなす。彼皆この安からざるを厭(いと)ひ、而(しか)して彼の安んずべきを見るがためなり。これを火の燥(かわ)けるに就(つ)き、水の湿(うるほ)へるに就(つ)くに譬(たと)ふ。それなんぞ拒(こば)むべけんや。若(も)し彼(か)の安んずべきを以(もつ)て、此(こ)の安んぜざるに易(か)ふれば、則(すなわ)ち必ず然(しか)らざるなり。これを安んずるの道いかん。

 すなわち、以上のやり方では、重罪人や極悪人が、左から追われれば右に移動し、前から攻められれば後ろに移動するだけのことである。いくら重罪人や極悪人を懲らしめても、彼らには居場所がなく仕事もないので、生計を立てることができない。そこでまた、窃盗や強盗などの犯罪に手を染める。彼らが生きていくためにはこれしか手段がないのである。ということだから、重罪人や極悪人による人災を除き去ることはできない。仮に重罪人や極悪人を禁固刑に処することができれば、絞首刑や斬首刑により即刻命を奪うことよりもまだましである。
 いずれにしても、困窮する人々が跡を絶たず、また、困窮する人々に手を差し伸べることもできない。盗人や悪者が日々増えているが、刑罰の執行が追い付かない。よって、誰もが安んずる所に安んずることができない。懼れるべきことに懼れることもできない。重罪人や極悪人が隙を狙って何をしでかすかわからない。
 今の天下において、武士も民も、天皇陛下や将軍を始めとする「お上」を心から親愛しており、「お上」のことを大事に思っているはずである。だが、かりそめにも職業に就いていなければ安定した生活を送ることができない。そこで、どうしようもなくなり、奇抜な事や邪な事を考えたり行ったりするようになる。また、家業を営むための術がなければ安定した生活を送れない。そこで、人格が歪んでしまい、利益を得るためなら手段を選ばず何でも行うようになる。無職の人や家業を営むことができない人が、このように自暴自棄になってしまうのは、安定した生活を送ることができないことが根本的な原因である。正規の職業や家業に就けないまま生活を安定させることはできない。
 彼らが安定した生活を送ることを求めるのは、「火」が「乾いている物」に付着して、「水」が「湿(しめ)っている物」に付着することに例えることができる。どうして、拒むことができようか。もし、安定した生活を送っている人々が、安定した生活を送ることができない人々の立場に立って考えてみれば、安定した生活を送ることの有り難さを痛感するであろう。どのように対処すれば、無職の人や家業を営むことができない人が安定した生活を送れるようになるだろうか。

 いはく、今の政(まつりごと)をなす者は、概(おおむ)ね皆聚(しゆう)斂(れん)附(ふ)益(えき)の徒(と)なり。その禍(わざわい)を蒙(こうむ)る者は、獨(ひと)り農を甚(はなは)だしとなす。若(も)し能(よ)く循(じゆん)廉(れん)の吏(り)を用(もち)ひ、農(のう)桑(そう)の利を奪ふことなくんば、則(すなわ)ち天下食足(た)らん。天下食足りて、しかる後(のち)民(たみ)その業(ぎよう)に安んずるなり。また循(じゆん)廉(れん)の吏(り)を用(もち)ひ、商(しよう)買(ばい)の利を縦(ほしいまま)にすることなくんば、則(すなわ)ち天下財(ざい)足(た)らん。天下財足りて、しかる後(のち)士その職に安んずるなり。士安ければ則(すなわ)ち國(くに)強く、民安ければ則(すなわ)ち國(くに)富(と)む。國(くに)強く且(か)つ富めるは、天下の福(しあわせ)なり。それしかる後(のち)禮(れい)樂(がく)興(おこ)すべきなり。賞罰明らかにすべきなり。これをこれ安民の道といふなり。これをこれ長(ちよう)久(きゆう)の策といふなり。

 今の政治に携わっている役人は、大体において「君主が富んでいるのに更にその富を増し加えるために、人民から重い租税を取り立てている(注)」。重税に苦しんでいる民の中で、とくに農業を営んでいる人々の税負担は大きい。もし、仕事に忠実で心正しく私欲がない役人を任用し、農耕や養蚕の税負担を軽くして、農業の活性化を図れば、天下国家の食糧事情は豊かになるであろう。天下国家の食糧事情が豊かになってこそ、民は家業などの仕事に励むようになり、その結果、安定した生活を送ることができるようになる。
 また、お上が仕事に忠実で心正しく私欲がない役人を任用して、民が商売で得た利益を役人が独り占めすることを防げば、天下国家は経済的に繁栄する。天下国家が豊かになれば、武士は職に就き安定した生活を送ることができる。武士の生活が安定すれば国力は増強する。また、民の生活が安定すれば、天下国家は豊かになる。国力が増強して天下国家が豊かになれば、天下の人々はみんな幸福になる。
 みんなが幸福になった時に礼楽制度を普及すべきである。そして、是非善悪と賞罰を明らかにすべきである。このような政治の在り方が民を安んずる方法である。このような政治の在り方が天下国家に長久の平和を実現する政策である。

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