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期間限定「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 山水蒙

四 山水蒙 |・・ ・|・

蒙、亨。匪我求童蒙。童蒙求我。初筮告。再三瀆。瀆則不告。利貞。
□蒙(もう)は亨(とお)る。我(われ)、童(どう)蒙(もう)に求むるに匪(あら)ず。童(どう)蒙(もう)、我(われ)に求む。初(しよ)筮(ぜい)は告ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆(けが)るれば則ち告げず。貞(ただ)しきに利(よろ)し。
 蒙の時は無知蒙(もう)昧(まい)な幼児(童蒙)に例える。
 師について教えを受ければ、蒙を啓(ひら)くことができる。師から進んで教え導くのではない。童(どう)蒙(もう)から進んで師に教えを求めるのである。
 占(せん)筮(ぜい)に例えれば、最初の筮(ぜい)は答えを告げる。それを疑い、再び占筮を求める人は蒙昧ゆえ二度と応じない。すなわち童蒙が素直な心で師に求めれば教え導くが、少しでも疑う心が見えれば教えないのである。常に正しい道を守るがよい。
彖曰、蒙山下有険。険而止蒙。蒙亨、以亨行、時中也。匪我求童蒙、童蒙求我、志應也。初筮告、以剛中也。再三瀆、瀆則不告、瀆蒙也。蒙以養正、聖功也。
□蒙(もう)は山の下に険有り。険にして止まるは蒙なり。蒙は亨(とお)るとは、亨るを以て時(じ)中(ちゆう)を行うなり。我、童蒙に求むるに匪(あら)ず、童蒙、我に求むとは、志応ずるなり。初(しよ)筮(ぜい)に告ぐとは、剛中を以てなり。再三すれば瀆(けが)る、瀆るれば則ち告げずとは、蒙を瀆(けが)せばなり。蒙以て正しきを養うは、聖の功(こう)なり。
 蒙は山(艮)の下に険難(坎)が在る。険難(水)の上に止まる(山)のが蒙の時である。蒙を啓(ひら)く。師が時に応じて適切に教え導くのである。師から進んで教えるのではなく、童(どう)蒙(もう)から進んで師に教えを求める。童蒙の志に師が応ずるのである。童(どう)蒙(もう)が素直な心で師に求めれば教え導くのは、師が剛健中庸の德を具えているからである。少しでも疑う心が見えれば教えないのは、啓(けい)蒙(もう)の道を瀆すことになるからである。童蒙を正しく教え導いて修養させて、将来の聖人を育てるのである。
象曰、山下出泉蒙。君子以行果德育。
□山(さん)下(か)に出(い)ずる泉は蒙なり。君子以て行いを果たし德を育(やしな)う。
 山(艮)の下に湧き出る泉(坎)が、流れ流れて大河となり大海に至るのが蒙の形。
君子は山の下に湧き出る泉が大海に至るように、果(か)敢(かん)に事を成し遂げ、己(おのれ)を修(おさ)めて君(くん)德(とく)を養い育てるのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻智者ト雖モ一時策略ニ竭キテ方向ニ迷ヒ却テ蒙昧ノ行ヲ爲スノ時トス、暫ク心ヲ練リテ、眞智ノ啓クヲ待ツベシ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)智者といえども、この時ばかりは、策略を考えたり、実行したりすることができない。どの方向に進んで行くのか迷って、蒙昧な行いをしてしまう。しばらくは、心を磨くために、真理に到達する智恵が啓かれるのを待つべきである。
 智者が愚に返る(智者の愚行)という謗(そし)りを受ける時。
 小賢しい技巧を用いれば、ますます窮する。自分を益してくれる友だちを捜し求めて、誠信と篤実の心で付き合い、その意見を取り入れるがよい。篤実な心で人と付き合い、コツコツと事を為せば、やがては、必ず栄えることになる。
○智恵が足りないので、困難の中に陥る時だが、必ず免れる道がある。智恵のある人に従えば、険阻坎難から抜け出ることができる。
○あらゆることに迷い迷って決断できない時。何事に取り組むにも、初めの段階で慎みの心を大切にすべきである。
○始めに決断して、あれこれ迷わないように心を安定させ、お付き合いする相手のことを妄りに疑わないように慎むべきである。
○実直だが人から信用されない。配慮しても、やることが稚拙なので、苦労することが多い。疑う心や迷いから離れることができない。
○配慮に欠けるので、直接関係がないことで苦しみ悩む時である。
○心の中に苦しむことや思い悩むことがある。こういう気持ちを整理してすっきりしたいと思うが、自分の他にも苦しみ悩む人がいて、自分の気持ちを整理することができない時。
○知識不足で、事業が達成できない時。
○手形や契約文書などで騙されることがある。注意すべきである。
○今は物価が安いが、やがて高くなる。

蒙 初六 |・・ ・|・

初六。發蒙利用刑人。用説桎梏、以往吝。
□初六。蒙を發(ひら)く。用(もつ)て人を刑するに利(よろ)し。用(もつ)て桎梏(しつこく)を説(と)き、以(もつ)て往(ゆ)けば吝(りん)なり。
 柔弱で才(さい)德(とく)乏しく、悪の道に進みかねない。剛中九二は初六を啓(けい)蒙(もう)する役割。刑罰を加えるような厳しさで躾(しつけ)るがよい。躾(しつけ)が身に付いたら刑罰を緩(ゆる)くする。厳し過ぎると逆ギレして、悪の道に進みかねない。
象曰、利用刑人、用正法也。
□用(もつ)て人を刑するに利(よろ)しとは、用て法を正すなり。
 刑罰を加えるような厳しさで躾(しつけ)る。規律は理屈抜きで叩き込むものである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻ハ頑愚ヲ譴責シテ智ヲ開カシムルノ時ナリ、然レドモ嚴ニ過ギ教導ニ分限ヲ犯ストキハ却テ己レ恥ヲ得ルコトアリトス・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)頑(かたく)なな愚か者が、先生(九二)によく鍛えてもらい、智恵を啓こうとする時。先生の鍛え方が厳しすぎて、教え導くことの限界を超えると、先生が恥をかくことになりかねない。
 愚かなままで成長すると、人の道の何たるかを知らないので、自分が過ちを犯すなどと思わず、過ちを犯して罪人となり刑罰を受けることがある。先生(九二)が早くその事に気付き、初六に人の道を教え、志を改めさせて、法律や道德に従うように導くべきである。
○物事の是非や得失の判断ができない。 ○妄想が多くなる。
○畏れることを知らない。誰かに教え導いてもらうべきである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)余ガ親族田中平八氏來リ、其弟平三郎ノ放蕩ナルヲ以テ、之ヲ悔悟セシメンガ爲メ暫ク余ニ托セントス、乃チ筮シテ蒙ノ初爻ヲ得タリ、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。

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