「ヨーロッパにいるわれわれは、東洋といえば、世界でまれに見る強者の富と奢侈、またそれとは対照的な下層階級の奴隷状態と絵にかいたような貧困をすぐ想像してしまうものだ」。こう前置きしながらメーチニコフはまた、明治新政府の高官宅を訪ねて、それが「江戸の質素な庶民の家で見かけていたものとなんら変わるところがない」のを知ったときのおどろきを語っている。それはスイス州政府の下級参事官あたりの中流ブルジョワ的豊かさとくらべても、あまりに質素だった。彼が「日本社会では身分的平等の観念がすでに非常に成熟している」というのは、こうした経験もあずかっていたかも知れない。日本では上流も下層もあまり変わらぬ家に住んでいるというのは、幕末に日本を訪れた観察者のほとんど一致した印象だった。(メーチニコフ「回想」「亡命」)
(P286)
欧米人たちは江戸期の日本に、思いもかけぬ平等な社会と自立的な人びとを見出したのだった。(中略)彼らが見たのは、武装した支配者と非武装の被支配者とに区分されながら、その実、支配の形態はきわめて穏和で、被支配者の生活領域が彼らの自由にゆだねられているような社会、富める者と貧しき者との社会的懸隔が小さく、身分的差異は画然としていても、それが階級的な差別として不満の源泉となることのないような、親和感に貫かれた文明だったのである。(P289~290)
