Ⅸ 第五章 雑多と充溢
一八八九(明治二十二)年、新任英国公使の妻として来日したメアリ・フレイザーは、毎日馬車で市内遊覧を楽しまずに居れなかった。(中略)「この国の下層の人々は、天が創造し給(たま)うたさまざまな下層の人間のなかで、もっとも生き生きとして愉快な人々」だったからである。(英国公使の見た明治日本 淡交社・一九八八年)(P206)
つまり街は多様でゆたかなのである。人びとも職業ごとに多様で、街はパフォーマンスに溢れ返っていたのだ。(P208)
在りし日のこの国の文明について考えるとき、われわれは、それがいかに雑多で細分化された生き場所ないしかくれ家を提供する文明であったということを、つねに念頭に置かねばならない。生態学のニッチという概念を採用するなら、それは棲み分けるニッチの多様豊富という点で際だった文明であった。(P210~211)

