六三.即鹿无虞。惟入于林中。君子幾不如舎。往吝。
○六三。鹿(しか)に即(つ)きて虞(ぐ)无(な)し。惟(た)だ林(りん)中(ちゆう)に入(い)る。君子は幾(き)をみて舎(や)むに如(し)かず。往(ゆ)けば吝(りん)。
象曰、即鹿无虞、以従禽也。君子舎之、往吝、窮也。
○象に曰く、即(つ)きて虞(ぐ)无(な)しとは、以(もつ)て禽(きん)に従う也。君子は之を舎(や)み、往(ゆ)けば吝(りん)とは、窮(きゆう)する也。
六三は中正ではなく(やり過ぎの不正、)応比の位置関係にある爻は全て陰爻(六二・六四・上六)である。誰も助けてくれないので悔いることが多い形をしている。虞(ぐ)は山や澤を管理している役人で、道案内(ガイド)の役割を果たしている。思うに応比の関係にない初九が道案内に該当しそうだ。例えれば、山に入って狩りをしても道案内がいないので林の中に迷い込み、獲物の鹿を獲れるはずがなく、あっという間に日が暮れて馬も自分も疲れ果ててどうすることもできないのである。
そもそも自分(六三)はやり過ぎる上に位は不正であり才能も道徳性にも欠けている。しかも誰も助けてくれない(応比がない)ので妄りに欲望に溺れて遂には災難を招き寄せることになる。それゆえ君子なら兆しを察して動かないことが妥当だと言うしかない。また鹿を天下に例えれば中(ちゆう)原(げん)(中華文明の発祥地)に鹿を追いかけるという意味になる。道案内(ガイド)を得るということは、君子を用いることと同じ効果がある。けれども、自分(六三)には才能がないので君子を用いることができない。
