何故そうなるかを考えると、経済や文化の繁栄を追求すると道徳を忘れがちになり、繁栄するに随って権謀術(じゆつ)数(すう)が長じて遂には暴奪や騒乱状態になりかねない。例を挙げると戦争は文明国が仕掛けて始まるものである。けれども、戦争はできるだけやらないほうがよいという真理があっても戦争はなくならない。
もし自分が利益を得られそうだと思ったときは、口では道理を説いていても、心の中は欲でいっぱいとなり、利益を得ようと貪欲になるものである。戦争に勝って賠償金を得て和平交渉しても、それは虚偽の和平であり、本当の和平ではないから、人類の歴史において戦争は絶えることがなく一時の勝利によって英雄の名誉を得ても、仁義道徳に悖るので、その国が永久に平和になるわけではない。
抑(そもそ)も国が東西に分かれており、人種が白人と黄色人等に分かれていたとしても、造物主たる神から観ればどちらを愛してどちらを憎むという理屈があろうはずがない。造物主たる神は父親のような存在なので人類は同じ子供である。父親が同じなのにどうして人類が兄弟でないはずがあろうか。民の主宰者である神は天のような存在であり、人類を普く覆い育てるのだから、人類も彼我の偏見を脱し皆兄弟という大観で道徳仁義に基づいて天意を躬行すべきである。易経は乾を尊んで坤を卑しむけれども、乾坤大本は同じであるから彼我の偏見を廃しなければならない。これを一身に当て嵌めれば、無形の心魂は乾である。有形の身体は坤である。心魂は無形であるから人欲(私心)がないけれども、肉体は有形なので衣食住を満たさなければならない。
