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明治十九年出版 高島易断 現代語訳(一部掲載)

わたしは未熟なので、易の神仏のメッセージに感通することは、足の親指がわずかに動くだけだ。まだ起こっていない将来のことについて大体の見当がつくという程度である。ましてや、今の段階より二、三段高い段階に達したときの感通力は、どれほど測り知れないものであろうか。まさしく、釈迦やキリスト(耶蘇)などの優等の感通を得た人物(聖人)の感通力は推して知るべきである。 それゆえ、釈迦やキリスト(耶蘇)などの聖人が説いている内容は奥深く広大で、後世の理屈や学問(考察学)が到底及ぶようなレベルではない。そのような訳で、孔子の後に孔子は現れず、釈迦の後に釈迦は現れず、キリスト(耶蘇)の後にキリストは現れなかった。わたしは未熟ながらも、物事の本質や他者と響き合う学問(感通学)の門に入ることができた。もし並外れた才能を持つ人物を集めて、単なる知識の習得ではなく、感通学の実践を通じて心身を鍛えれば、凡人を超えるだけでなく、孔子・釈迦・キリストといった聖人たちと肩を並べ、さらには彼らを超える存在にすらなり得るかもしれない。

白倉信司. 明治十九年出版 高島易斷 卷第一 現代語訳 (p.16). Kindle 版.

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