愚(ぐ)者(しや)は遠き慮(おもんぱか)り無し
必ず近き憂(うれ)い有るべし
管(くだ)を用いて天を窺(うかが)う如く
針を用いて地を指すに似たり
愚かな人は百年先のことなど考えない(愚者は遠き慮り無し)。先のことを考えない人は近い将来問題が起こっても対応できない(必ず近き憂い有るべし)。物事を広く見通すことができない人は細い管で天を覗いているようなものだから、見えるのは広大な天のごく一部でしかない(管を用いて天を窺う如く)。針を大地に刺しても広大な大地のことは何も分からないのと同じである(針を用いて地を指すに似たり)。
論語に曰く「遠き慮(おもんぱか)り無ければ必ず近き憂いあり」と。国家百年の計をもたない日本が行き詰まって困窮しているのも宜(むべ)なるかな(もっともなことだ)。
嘗(かつ)ての日本人は「天命に生きる」人生を歩んでいた。「実語教」や「童子教」など、古くから伝わる日本の教えを學んだからである。今の日本人は古くから伝わる日本の教えを學ばなくなってしまった。そろそろ、日本の教えを取り戻さないと、日本が日本でなくなってしまう。そんな思いで本書を書いた。
実語教では「天命」のことを「天地」といい、それは「父母」と「孝」、あるいは「師君」と「仕」の相互作用で成り立つ。そのことを「父母は天地の如く、師君は日月の如し。(中略)父母には朝夕に孝せよ。師君には昼夜に仕えよ」と書いてある。
童子教では「天命」のことを「仏」といい、それは「仏道を求む」と「仏道を成ず」の相互作用で成り立つ。そのことを「(前略)花を折って仏に供する輩(ともがら)は 速やかに蓮(れん)台(だい)の趺(はなぶさ)を結ぶ。上は須(すべから)く仏道を求むべし 中(なか)ばは四(し)恩(おん)を報ずべし。下(しも)は徧(あまね)く六(ろく)道(どう)に及ぶ 共に仏道を成(じよう)ずべし」と書いてある。
実語教と童子教が普及したのは、江戸時代に寺子屋のテキストとして用いられたからである。実語教は平安時代の終わり頃に成立したと言われ、明治時代になっても読まれていたという。何と千年近く子供たちのテキストとして読まれ続けてきたのだ。童子教は鎌倉時代の終わり頃に成立したと言われている。いずれにしても、長い期間にわたって子供たちは「実語教」と「童子教」を読んで人格を形成した。
今の「自分のために生きる」日本人に、是非、「実語教」と「童子教」を読んでいただき、「天命を生きる」人生を歩んでほしいと思う。

