楽園ゆずり
「あま」の神は、「おおくに」の神の楽園創りを天上からずっと見守っていた。本来なら「いざ」の神様に、楽園で暮らしている萬物が幸福になるような社会を「しらす(秩序のある幸福な社会を創る)」ことを命じられた「すさ」の神の御子である「おおくに」の神が楽園を統治すべきだけれども、嘗て「すさ」の神の暴走に巻き込まれて織物の神様がなくなったことがある。
「しらす」とは、「相手のことをよく知り、相手の立場になって、相手のことを思いやる」ことだから、「すさ」の神は「しらす」心を失い、「うしはく」心に変わってしまったと考えることもできる。「うしはく」とは「力尽くで相手を抑え付ける」ことである。
また、「しらす」とは「無我の境地を維持して行うもの」なのに、「すさ」の神の役割を引き継いだ「おおくに」の神は、自分の意思で無我の境地を維持することができずに、「うぅ」の神様や「あ」の神様の力を借りてようやく無我の境地を維持しているのだから、「しらす」資質を欠いていると考えることもできる。
以上のことから、このまま「おおくに」の神に楽園を治めさせることはできない。
では、どのようにすればよいか、「あま」の神は深く考えて、次のような結論を出した。
まずは、楽園の「あるべき形」を明確に定めることである。
すでに決まっている「あるべき形」は、「あま」の神がお隠れになった時に「い」の神様によって、次のように示されている。
○この楽園は「智慧と慈しみの心」に溢れる「あま」の神がいつも、彼らが幸せになるように見守って祈り続けている。
「鏡」は「あま」の神の象徴である。
今、この「鏡」は天照大御神と共に伊勢神宮にお祀りされている。
○「あま」の神が幾久しく(未来永劫に)楽園を「今の状態より良い状態」にし続けるために、後継者として産み出した「ほのみみ」の神の子孫が、楽園に降りていって、楽園を「しらす」役割を担う楽園統合の象徴として楽園を思いやりの心で統治する。
「勾玉」が「ほのみみ」の神とその子孫の象徴である。
今、この「勾玉」は天皇陛下がおられる宮中(皇居)にお祀りされている。
「あま」の神は、「い」の神様によって示されたこれらのことから、楽園の「あるべき形」を次のように定めることにした。以下省略。