優しすぎる「おおくに」の神
「すさ」の神が亡くなった後、楽園に秩序だった社会を創る役割を担うのは「おおくに」の神しかいなかった。「おおくに」の神は「勇ましさ」には欠けていたが、産まれつき心の優しい思いやりの心に溢れた神だった。
ある時、「おおくに」の神が散歩していた時に、イタズラをして身体中の毛を剥ぎ取られたウサギに出逢った。ウサギは「痛いよ~」「痛いよ~」と泣き叫んでいた。「おおくに」の神が、ウサギに痛みを抑えて毛が生え換わる方法を教えたところ、ウサギはとても喜んで「おおくに」の神に感謝した。
その様子を見ていた、自然を司る神々と人間たちは「おおくに」の神が、「すさ」の神にはなかった「優しさ」と「思いやりの心」に溢れていることを知って感動し、「おおくに」の神は、楽園の人気者になった。
ところが、自然を司る神々と人間たちの一部に、このような「おおくに」の神の存在を快く思わない者が居た。その者たちは、気にくわない「おおくに」の神を楽園から抹殺しようと企んだのである。
ある時、「おおくに」の神が散歩をしていると、坂の上にその者たちが潜んでおり、「おおくに」の神に向かって真っ赤に爛れるように熱した巨大な岩を転がした。「おおくに」の神は、そのことに全く気付かずに、巨大な岩の下敷きになって死んでしまった。
楽園社会の中には、「おおくに」の神のように、社会のために良い事を行って多くの人から喜ばれる神や人が存在することを、快く思わずに逆(さか)恨(うら)みする人々が、少なからず存在するのである。
このような理不尽な理由で逆恨みされても、社会のために良い事をし続ける立派な神や人が居る。このような神や人が居るからこそ、楽園が「地球と宇宙を調和させる」理想の社会であることができるのである。
楽園がやがて日本と呼ばれるようになるまでの歴史を辿って見ると、このような立派な神や人が沢山存在した。神武天皇、崇神天皇、仁德天皇、聖徳太子、天武天皇、菅原道真、和気清麻呂、徳川家康、中江藤樹、山縣大貳、吉田松陰、西郷隆盛、勝海舟、福沢諭吉など、数え上げたら枚挙に暇がない。日本書紀によると、紀元前六六十年に神武天皇が初代天皇として即位してから肇(はじま)った日本の国が、現在の百二十六代目の天皇陛下に至るまで一度も途絶えたことがない世界で唯一の継続国家であるのは、このような立派な人々が次から次に現れて、日本のために良い事をし続けてくれたからである。わたしたち日本人は、このような先人がいてくださったことに心から感謝しなければならない。
さて、「おおくに」の神が死んでしまったことを伝え聞いた「あま」の神は、「巨大な宇宙空間」を産み出した「う」の神様に、「おおくに」の神を生き返らせてほしいとお願いした。「すさ」の神が亡くなった後、秩序のある幸福な社会を創ることを担うのは、「すさ」の神の後継者である「おおくに」の神しか居ないからだ。以下省略。