楽園の「あるべき形」
「い」の神は、楽園が「地球と宇宙を調和させる」理想の社会になるためには、楽園を見守って祈り続ける「あま」の神が、幾久しく(未来永劫)楽園の「あるべき形」の中心に存在し続けることを、楽園で暮らしている自然を司る神々と人間たちに、認知してもらうことが必要だと考えた。
そこで、「智慧と慈しみの心」に溢れる「あま」の神の象徴として、智慧と慈しみの心を具体的な形として現した「鏡」を創って榊の木に飾り、楽園で暮らしている自然を司る神々と人間たちにいつでも見てもらえるようにして、彼らが何かに悩んでいる時に、この楽園は「智慧と慈しみの心」に溢れる「あま」の神がいつも、彼らが幸せになるように見守って祈り続けてくれていることを示して、彼らに安心してもらえるようにした。
次に、「い」の神は、「あま」の神が幾久しく(未来永劫に)楽園が「地球と宇宙を調和させる」理想の社会になるために、自分の後継者として産み出した「ほのみみ」の神の子孫が、楽園に降りていって、楽園を「しらす」役割を担う楽園統合の象徴として楽園を思いやりの心で統治することを、自然を司る神々と人間たちに認知してもらうために、「思いやりの心」の象徴である「勾玉」を創って、「鏡」と一緒に榊の木に飾った。
榊の木に飾った「鏡」と「勾玉」は、やがて、楽園統合の三種の神器と呼ばれることになる。この段階では、もうひとつの神器である「剣」はまだ登場していない。
楽園の「あるべき形」を自然を司る神々と人間たちに認知してもらうために、榊の木に「鏡」と「勾玉」を飾ったことを、大岩の陰に身を隠して見ていた「あま」の神は、これで楽園は安定すると思い、彼らの前に再び姿をあらわした。
すると、彼らは安心して大いに喜び、手と手をつないで音楽を奏でて踊り出した。中には喜びすぎて裸踊りを始める神も居たほどである。以下省略。